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恐ろしい話

【驚愕!洒落にならない話】人を狂わせる部屋

【絶対に入ってはいけない部屋がある⁉︎】


それは人を狂わせる恐ろしい部屋が舞台の入ってはいけない部屋という話です。


田舎で暮らす僕の家には子供の頃から、「絶対に入るな」と言われていた部屋がありました。
ですがそんなことを言われると、逆に好奇心が湧いてくるのが人間です。
「僕」はある日こっそりとその部屋に忍び込んでみることにしました。
しかし、いざ入ってみるとその部屋はなんの変哲もない普通の部屋でした。
ガッカリした僕は何気なく部屋にあったタンスを開けてみると、中にはひな人形を小さくしたような不気味な和風の人形が1体だけ入っており、僕は心の奥底からジワジワと怖さが湧いてくるのがわかりました。

それからしばらくして、僕は部屋に入ったことを秘密にしたまま、祖母に部屋のことを尋ねてみると、こんな話を聞かせてくれました。

入ってはいけない部屋は30年以上前に家を増築した際、庭を潰して作られた部屋で、「僕」の叔母さんが使っていた部屋でした。
しかし叔母さんがその部屋を利用するようになってから、夜中に消したはずの電気が点き枕元に女の子が笑顔で座っているという怪現象に見舞われるようになったそうです。
叔母さんは最初のうちは、「みんなに気味の悪い思いをさせたくない」と黙っていましたが、しばらくして耐えきれなくなり、叔母さんの父(僕の祖父)に相談してみたところ
「嫁にも行かんで家に住まわせてもらってるくせにふざけたこというな」
「出て行きたいのなら出ていけ!」
と、叔母さんを突っぱねてしまいました。

それ以来叔母さんは部屋のことは何も話さなくなり、一日中妙に優しい顔で過ごすようになりました。
そして、そんな叔母さんの様子を見た祖母は、怪現象が収まったのだろうと思い、叔母さんに話を聞いてみると、
「いいえ、でも慣れたよ
最初は1人だったんだけどね
どんどん増えていってる」
「みんなでずっとあたしのこと見下ろしてるんだ」
「あははははははははは!」
と話し、普段の様子からは想像もできない不気味な笑い声をあげたそうです。

それから数日後、深夜に叔母さんの部屋から


ざっ・・ざっ・・ざっ・・と穴を掘るような音が聞こえてきました。
叔母さんの様子を見に行くと、叔母さんは

部屋中の畳を引っぺがし、不気味な笑みを浮かべながら、一心不乱に素手で穴を掘っていました。
​それを見た祖母は叔母さんを止めようとするが、叔母さんはやめようとせず、しばらく掘り続けた後に
あった…
とつぶやいて小さな日本人形を床下から取り出しました。
その後、叔母さんは人形を祖母に渡し笑顔で壁際まで歩いて行ったかと思うと、突然笑い声を上げながら、ゴンッゴンッと壁に頭を打ち付けました。
祖母は力づくで叔母さんを止めようとするが、叔母さんは人間の力とは思えない怪力で祖母を払いのけ、10分以上もの間頭を壁に打ち続け、最後は突然直立し、後ろ向きに倒れ込んでしまいました。


その後、騒ぎを聞きつけた祖父が救急車を呼びましたが、その頃にはすでに手遅れだったようで、医者の話によると、「自分一人でここまでするのは不可能なほどにいろんなところがぐちゃぐちゃになっている」とのことでした。


こんなやりとりがあり、娘を失って後悔した祖父はお寺の住職を頼って部屋を診てもらい、人形の供養を任せることにしました。
しかしやってきた住職は部屋に入った瞬間に嘔吐し、「絶対にこの部屋を使っては駄目だ!人形も持って帰りたくない」
「そんなものに中途半端なお祓いは逆効果だ」と言い、お祓いを拒否して帰ってしまいました。
また、住職の話によるとかつてこの部屋があった場所には、水子や幼くして亡くなった子供を祀る祠があったらしく、ものすごい数の子供の霊が溜まっているのだと言います。


その後、祖父母は人形を様々な方法で処分しようとしたが、どれもうまくいかず最終的に元の場所に埋め直し、部屋は丸ごと使用禁止にすることにしました。
そしてその一部始終を話し終えた祖母は
「埋め直してから人形はそれっきり」
「また出てこないといいけどねぇ」
と話を締めますが
じゃあ僕が見た人形は…

【異常すぎる最後の晩餐】テッド・バンディ

テッド・バンディのラストミール


1970年から1978年かけてアメリカ各地で、その類稀なるカリスマ性と180を超える高いIQに加え、さらにイケメンということを利用して30名以上の若い女性を「殺害」「暴行」「死姦」と極悪三昧だったシリアルキラー、「テッド・バンディ」ですが、彼は名門ユタ大学で法学部に在籍していたという経歴から裁判では、自身を自らの弁護士として法廷に立ち、このことから手錠や足枷の免除が認められていました。

しかし彼はその状況を利用して、休憩時間の隙をつき脱走し6日間の逃亡の末に、追ってきた捜査官によって捕らえられました。
しかしその後も、その知性とカリスマ性を発揮し、減刑や脱獄を試みたり、周囲の人の心を揺さぶったりした彼ですが、最終的には観念し、行ってきた悪行の数々を白状しました。

そして1989年電気椅子での処刑が執行されると、刑務所には数百名の野次馬が殺到し、歌う者、踊る者、花火を上げる者など多くの人々が一つの悪の終焉に歓声をあげたと言います。

そんなハイスペックな巨悪の帝王が最後の晩餐に選んだラストミールがこちらになります。


​「必要ない」


​​彼の人生最後の選択は​​「拒否」​でした。
しかし、刑務所側もさすがに何も出さない訳にはいかなかったので、刑務所で伝統的にラストミールとして提供していた、

「ミディアムレアの牛ステーキ」

「半熟玉子」

「ハッシュドポテト」

「バターとジャムがついたトースト」

「牛乳」

「オレンジジュース」
が、振舞われましたが、彼は一口も手をつけることなく執行の時を待ったそうです。






【異常すぎる最後の晩餐】ジョン・ウェイン・ゲイシー

最後の晩餐

ジョンウェインゲイシー

日本ではあまり馴染みのない話ですが、死刑囚が刑を執行される1日〜2日前に本人が希望した食事が提供される「ラストミール」という制度が設けられている地域があります。

ラストミールはメニューだけではなく、量や焼き加減、味付けも詳細に沿ったものが提供されるようです。
このラストミールが死刑囚の人生における最後の意思表示と捉えるものも多く、これまでにさまざまなメニューが犯罪者たちの最後の晩餐となってきました。

常人では到底考えつかないような最後の晩餐
「ラストミール」をご紹介します。

1974年から78年にかけてアメリカで33名を殺害した「ジョン・ゲイシー」は表の顔は多数の業界で優秀な成績を残すやり手のエリートでした。
彼はピエロに扮しイベントやパーティーに参加し、子供たちを楽しませたりチャリティー活動なども積極的に行うなど、その犯行が明るみに出るまでは、模範的市民として人々から非常に愛された存在でした。

そんな表面上は聖人を演じていた彼の本性は、
「ポルノを見ないか」と青少年たちを自宅の地下室へと誘導し、抵抗されないよう手錠をかけ動きを封じたのちに、強姦してからゆっくりと首を絞め殺害するという残虐かつ歪んだ手口で犯行を繰り返す、​「殺人ピエロ」でした。

また、ゲイシーはかの有名な「スティーブンキング」の「IT-イット」に登場する異形の道化師ペニーワイズのモデルになったとも言われています。

そんなリアルペニーワイズが最後の晩餐として選んだメニューがこちらになります。



​「フライドシュリンプ12尾」

「ケンタッキーフライドチキン」

「フライドポテト」

「イチゴ450グラム」

「ダイエットコーラ」

​とてつもなくアメリカを感じるメニューですが、ゲイシーは若い頃ケンタッキーフライドチキン3店舗のマネージャーを務めていたこともあり、人生の瀬戸際で、若き日の輝かしい成功の日々に思いを馳せていたのではないでしょうか。

ちなみにゲイシーは刑務所内にてピエロの絵画を数点描きあげており、それらはマニアの間で高額で取引されているようで、あの「ジョニーデップ」も購入したことがあるそうです。

日本の犯罪史上最も残酷で凶悪と言われる殺人事件

神戸連続児童殺傷事件

1997年に兵庫県の神戸市で、当時14歳の中学生、通称『少年A』が起こしたこの事件は、日本の少年犯罪史上類を見ないような残酷な殺害方法が用いられていたため、日本中に大きな衝撃をもたらしただけではなく、少年法が改正されるきっかけをも作りました。

2月から逮捕される6月までに、少年Aは5名の小学生をナイフやハンマーなどの凶器を使い襲っており、結果的に2名を殺害し3名に重軽傷を負わせています。
犠牲者の中には、弟の同級生で少年Aとも面識のある小学5年生も含まれており、彼は男児を山に連れ込み絞殺した後に、死体をアンテナ施設に隠しているのですが、彼はただの殺人では飽き足らず、殺害後
「人間の首を切り落としたい」
という欲求にかられ、後日再び山に向かうと、万引きしたノコギリを使い、男児の頭を切断するという凶行に及びました。
しかもその際、目が気に入らないという理由で男児の両目をナイフで突き刺し、加えて口から耳に向かって意味もなく切り裂くのですが、その後彼は、時間の経過とともに死体がどのように変化するのかが気になり、現場から頭部だけを持ち去ると、近くの池に立ち寄って頭部をその場に隠します。
ですが、程なくして男児が行方不明として扱われ、大規模な公開捜査が開始されたため、少年Aは頭部を回収し家に持ち帰ると、殺害現場の特定を防ぐため、土や木の葉などを風呂場で洗い流したそうです。
その後、捜査を撹乱させるために少年Aは偽の犯人像を作り出し、その人物になりきり​「人殺しが愉快でたまらない」​といった警察を挑発するような内容の犯行声明文を書くと、それを男児の口にくわえさせ、自身が通っていた中学校の正門に頭部を遺棄します。
当然これはすぐに発見されるのですが、その手紙には
「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」
という人名らしきものが書かれていたため、のちにマスコミは「酒鬼薔薇事件」と大きく報道します。
また、事件発生当初は中学生がこれほど残虐な犯行に及んだとは考えられていなかったため、「30〜40代の男性」が犯人だと目されていたそうです。
しかし、これに気を良くした少年Aは、地元の新聞社に「挑戦状」と題した第二の犯行声明文を送るのですが、この声明文は筆跡鑑定に回されることになり、その結果少年Aが書いた作文と筆跡がよく似ているということが判明しました。
ですが、確たる証拠がなく、逮捕状が請求できなかったため、警察は6月28日の朝に少年Aの家を訪れ、任意同行に応じた少年Aは当初、犯行を否認していたのですが、その後警察から、「筆跡が一致した」ということを告げられると、少年Aはその場で泣き崩れ、犯行を認めたことで逮捕されることとなりました。
また、この事件は14歳の中学生が犯行に及んだということもあり、日本だけではなく世界中のメディアで大きく取り上げられるほどでした。

殺人鬼が残したヤバい言葉【ゲリー・ギルモア】

殺人鬼が残したヤバい言葉

ゲリー・ギルモア

1976年にガソリンスタンドやモーテルで殺人を繰り返した
【ゲリー・ギルモア】は当時アメリカ国内で検討されていた、死刑廃止の流れを変えるきっかけとなってしまいました。
彼は同年に逮捕されるとすぐに裁判にかけられ、死刑判決がくだされるのですが、当時は死刑廃止の動きが高まっていた影響で、死刑の執行がほとんど行われていなかったそうです。

そして、この現状に不満を抱いていたゲリーは、わざわざ弁護士を雇って、​【死刑にされる権利】を州知事に訴えたのですが、要求が通らないとわかると、彼は睡眠薬を飲み自殺を図ります。
ですが、これは失敗に終わり、幾度となく死刑の権利を主張した事で、最終的に銃殺による死刑が執行される事となりました。

そんな彼は、死刑の直前に執行人に向かって
let's do it」やっちまおうぜ

​と口にしたそうです。

ちなみに彼のこの言葉は、某有名スポーツメーカーのキャンペーンで使われていた
「just do it」というフレーズの元になったという噂も流れています。
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